れれれ

元銀座のクラブホステス。今訪問介護をしているフリーケアマネージャー。介護サミット 日本…

れれれ

元銀座のクラブホステス。今訪問介護をしているフリーケアマネージャー。介護サミット 日本有志介護士の会主催者

最近の記事

訪問介護の話

Mさんは、48の時に旦那さんを亡くして。女手ひとつで2人の息子をそだてた、 お宅にはS宗教の布教に貢献したと賞状が沢山飾られている 1人で自宅に暮らしていて食べ物はご長男が7の 暖めるだけの惣菜を買ってきて冷蔵庫に入れている。 私達ヘルパーはそれを温めてご飯を炊いてお出しする たまに炊飯器に生ゴミが入っていたり 失禁があったり 空の誰かと話していたりするが身体機能は良好で 明るい方なので穏やかに過ごされている 息子さんは毎日のように寄って7の惣菜を温めたりして帰る

    • 訪問介護の話➓

      初めから訪問した時からほとんど寝たきりで絶対にオムツにはなりたくないと 気丈な方だった 診断名はALS 自宅酸素をつけて酸素チューブの上からマスクをつけていた意識が遠のくたびに点滴を刺した。 夢をみてると自分の畑の桜の木の下にいるようだった 今日は声かけにも全く反応がなくてまるで雲の上にいるようだったから一応サービス責任者に連絡したら、 点滴とおしっこの管が入れられた様だ。 明日は訪問看護師、ケアマネ 、サービス責任者。わたくしで一堂に会する。下顎呼吸に酸素は必要

      • 介護保険と要介護認定

        2000年の4月から始まった介護保険  保険といえば聞こえは良いが実際は40歳からは強制加入で払うのは強制だが受ける窓口はどんどん狭くなって来ているのが現状であると思う。 何も知らずに払うだけ払って実際に介護を受けるときには何項目ものチェックリストと主治医の意見書など書類を山のように作らなければならない。 http://www.j-dental.or.jp/JEDA/oralcareC/nintei/nintei21.php いざ自分が調子が悪くなってからではとても目

        • 訪問介護の話⑨

          令和がはじまり、大正生まれの方のお看取りがあった、お二人ともつい先週までは言葉を発し、ほんの少しのものは飲み込めていた、見事なまでの老衰。 「点滴はいれていない」 国がようやく重い腰を上げ在宅にシフトをきってからお看取りが増えた、私達介護士は死亡診断や医療行為は出来ないが亡くなるほんの数時間前に身体を綺麗にして「何世代もの間命を繋いで来ていただきありがとうございました」の念は伝えられる。 もしもしも黄泉の国というのがあるのならば58の若さで死んでしまった、私の大好きな大

        訪問介護の話

          訪問介護の話⑧

          「マラッカ海峡を抜けると※にいだかやまが見える。その先をぬけると富士山なんだ」 ※台湾の玉山。日本統治時代には、明治天皇により富士山よりも高い「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。 とおっしゃる、もと自衛官二軍曹のKさんはとても誇りたかい方で 一年中湿気の多いアパートの一階に一人で住んでいる、 ほとんど動かなくなった手で包丁を研ぎ。その包丁はジャックナイフのように反り返っている。 ご自身のお父様が軍人で馬にのって凱旋してきたのに感化され自衛官になった。

          訪問介護の話⑧

          訪問介護の話し⑦

          私は無宗教です。 強いて言うなら「古神道」 自然崇拝です。 たった1人の人間を男であれ女であれ。崇拝する事はありません。 「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事 」と言った政治家の方がいらっしゃいました。 その方に聞いてほしいです。 お父さんは家族親族で新天地サイパンに政府主導で移住しました。ところがその内に戦争になり。 サイパンを占領?されてしまい家族親族にたったひとつの手榴弾を渡されて 自決するように生き恥をさらさぬように本土からの通達で家族で肩を組み

          訪問介護の話し⑦

          訪問介護の話し⑥

          久しぶりに彼女にメールを送った返信がない。 施設では携帯は取り上げられているのだろうから。。 私の出会った利用者様で彼女が最年少であった、 ケアの内容はお母さんと彼女の入浴介助、洗濯掃除。 お母さんのことを私たち職員は荒地の魔女と呼んでいた 小さなバスタブに入ると抜けられないほど大きな体だった彼女もそれくらい大きな体になりそうだった 看護師だった彼女のお母さんは難病になり生活保護を貰って小さなマンションの角部屋に住んでいた 訪問すると彼女はニコニコペラペラと喋り小鳥のように私

          訪問介護の話し⑥

          訪問介護の話し⑤

          『胃にピアス~~。」って言えばよかったのよねえ。この人最後まで胃ろうにするのをイヤがってねぇ。。 私は米神に血管が浮き出て、込み上げる感情を押し殺しながら「そうなんですかぁ~」と答えた。 胃ろうを施されている、ご主人は接骨院の先生で徐々に体が動かなくなり今は食事は胃につながれているチューブからしか食べれづ、排泄はオムツにしている。 活発に手足が動く方で私たちは押さえつけながら胃ろう部分の洗浄や着替え。 シーツ交換 口腔ケア など行うのだけれども とても嫌がって手足をバタバタ

          訪問介護の話し⑤

          訪問介護の話し④

          「ありがとう。ごめんなさい。ゆるしてください。あいしています。」 死期がせまっているFさんにこの言葉をわたそう。 病院に花をもってお見舞いに行ったら「お花はおけません」と断られてしまったから ホスピスに入院したいと言ったら生活保護者は入れませんと言われてしまったから 団地でこのまま死にたいと言ったらよってたかって迷惑だと言われてしまったから 自由人のFさんに皆は怖いからとかうるさいからとかで訪問したがらなかったけど私はFさんの話しが大好きだった。 Fさんのお父さんは鳶の親方で

          訪問介護の話し④

          訪問介護の話し③

          大正生まれ。戦中はフイリッピンに。引き上げて来てから。 満鉄「旧 国鉄」今JRに 仕事を貰い。小さな家を用意してもらった。 以来 そこにずーーーと住んでいる。 連れ合いはボケてしまった。 お父さんの朝の仕事は神棚にお水とお酒とお米を捧げることだ。。 それしかない。 天照の大きな掛軸にヨロヨロとした。足取りで手を合わせる 「戦争はねーーそれしか無かったもの。真暗闇の中で唸り声が聞こえてね。 のぶこーー。、のぶこーー。、って。 そいつは農家の長男で戦争に行くからって急いで結婚した

          訪問介護の話し③

          訪問介護の話し②

          巨大県営住宅の一階の一番の陽の当たらない角の部屋。 始めて訪問した時に 息をのんだ。 ありとあらゆるゴミ?生活物に覆い尽くされた部屋に家族は住んでいた お母さんは昔、看護婦長を勤めていた、今は片麻痺でなんとか歩ける状態。お父さんは肺気腫が酷くなり 自宅で酸素療法、外には付き添いありで病院の検査のときのだけ外出。 息子50歳くらい、独身 少し精神に偏りあり。異常に若く見える。。 訪問する度に少しづつ部屋は片付いていった、万人には不必要と見える 生活物がお母

          訪問介護の話し②

          訪問介護の話し➀

          私は憤怒(ふんぬ)しています!!! 見えない矢面にでてこない敵と毎日どう戦ったらよいかと考えています! 私の仕事は介護士です 訪問介護では お宅に入るので家庭の事情がよくわかります 田舎暮らしがしたくて3年ほど和歌山県で暮らしたことがあります その時に訪問介護で伺ったお年寄り達はとても自立していて人生を楽しんでいて見習いたいお年寄りが沢山いました 国が杉の木を植えろ植えろと言うのに従って杉の木を植えたら山が死んでしまった 今では杉は高く売れない... 孫の為に金にな

          訪問介護の話し➀